気まぐれ日記 2016年9月

2016年8月はここ

9月1日(木)「時が経つのは悲しくもあり・・・の風さん」
 読みかけの本を昨夜読了できなかったので、今朝、二度寝のベッドの中で読み終えた。8月は想定外のことが多く、読書のペースは上がらなかった。なので、今朝の本が35冊目。例年、年末へ向けて激しく読書量が減るので、今年はそうならないように頑張ろう。
 午前中は疲れでほとんど仕事にならなかった。
 でも、JPへ行き、レターパックを4つ購入してきた。時間を見つけて出さなければならない。今日は、とりあえず2通の送付準備を完了させることができた。
 いよいよ新潮文庫が今月末出版される。『円周率を計算した男』の新潮文庫版という形である。原本とそっくりではない。色々と変更がある。最大の変更は、短編の書下ろしが1本入っていることだ。これによって、新潮選書『江戸の天才数学者』の小説版といった構成になった。
 今日やっと定価と初版部数の知らせがあった。私にしては初版部数が多いので、定価がとてもリーズナブルになっている。まるでベストセラー作家の文庫みたいだ(笑)。
 夕食後、ペコを連れてワイフと犬猫病院へ行った。もう午後7時半を過ぎているのに、すごい混雑。病院の外で30分近く待ったが、だいぶ秋らしくなってきたな。
 主治医の説明を再度聞き(一番のポイントは、これからどのように病状が進展し、最後はどうなるかということだ)、結論として手術はしないと決めた。今後も主治医のお世話になり、一日でも長く我が家の家族として生きられるようにしてもらう。
 近いところでは、私は母を失っているわけだが、それ以来のショックである。家族を失う悲しみは筆舌に尽くしがたい。過去の思い出の喪失に近い感覚だ。

9月2日(金)「生産技術マネジメント研究会初日・・・の風さん」
 今年もJMAの生産技術マネジメント研究会が始まる。今日からだ。
 電車でいつもの金山の某ホテルに出かけた。
 午前中は発足式。昼食をはさんでチームミーティングが始まった。とにかく最初はお互いを知ることから始まる。同じ生産技術ということばを使っていても、会社によってやっていることが激しく違う。それを理解し合うことが中堅社員には非常に勉強になるのだ。アドバイザーとしては、少々口を出し過ぎる傾向があるが、適宜、質疑や議論が深まっていくように誘導する。
 夜は懇親会をやり、その後、チームメンバーは二次会へ出て行った。
 私は部屋に入り、自由時間を満喫することにしていたのだが、誤算は、部屋が暗いこと。すべての照明をつけても机の上が暗いのだ。PCの画面は見えるが、予定していた再校ゲラの著者校正がやりにくいことこの上ない。
 結局、1時間ほどでやめてしまった。
 今夜、自宅では、ペコがゴキを発見し、ワイフがとどめを刺したそうで、何となく、うれしいような怖いような変な気分だった。
 明朝カーテンを開けて、明るいところでやろうと決め、午前零時過ぎに就寝した。

9月3日(土)「ケース発表会にも出席・・・の風さん」
 午前6時のアラームで目が覚めたが、とても起きる気力が出ない。心身の衰えが今の私の最大の課題だ。
 結局、7時過ぎに起きて、シャワーを浴び、朝食もさっさと終えて、著者校正の続きを30分だけやった。明るいからやりやすかったのだが、時間が足りない。
 9時からチームミーティングの続きが始まった。昨日の続きをさらに体系的にやるように誘導した。
 実はこういう自己紹介のようなことを横で聞いているだけで、私には非常に勉強になる。現在の現実のビジネス環境と各社の対応状況がひしひしと伝わってくるからだ。
 昼食後、失礼させてもらった。
 今日は、朝から名商大のケース発表会が開催されている。こちらは生産技術という枠をはるかにこえたビジネスの世界の現在の現実に触れることができる、効果的な勉強の場である。
 ホテルから丸の内タワーまで移動したのだが、外は夏の日差しがもどっていて暑い上に、体力不足の私は荷物が重く感じられて、とてもつらかった。
 運良く昼食休憩中にすべりこむことができた。在学中の学友がたくさん来ていて気持ちがはずむ。
 午後の発表はすべて聴講できた。残念ながら小粒で甘い発表が多く、期待外れだった。そのような中、会社の後輩の発表は力がこもっていて(つまり真剣さが伝わって来て)、非常によかった。
 懇親会でも多くの人と話ができて有意義だった。
 しかし、自分の胸の中の片隅では、本当なら作家業に専念していて、こういうことをしていられないのが理想だよな、という気持ちが頭を持ち上げてくる。そうなると、落ち込む。
 懇親会が終了してすぐ会場を後にしたが、ここからはペコの病状が心配になる。今日は落ち着いていたようだが、顔を見るまで安心できない。
 へとへとになって帰宅した。
 寝るにはまだ早いので、コーヒーを淹れて、おはぎをいただいた。疲れているときは甘いものに限る。

9月4日(日)「3週間ぶりの筋トレ・・・の風さん」
 外へ出ている日々が続いたので、屋内業務を頑張らねばならない。
 が、起床から、何となく体が重い。
 午前中、必死にレターパックを2通用意した。とにかく這ってでも、たとえ1ミリでも前進しなければ、仕事は片付かないし次の仕事も始まらない。これが老体になった者の宿命だとは、若い時には想像もつかなかった。
 しかし、正午を過ぎて、リビングのソファでダウン。反対側のソファにはペコが寝ている。私と同様に元気がない。しかし、ペコは重病、私は老化。私のずっと幸福だ。……と思いつつ仮眠。
 3時近くなって、体はちっとも軽くならなかったが、起き出して、ラーメンを食べた。
 ワイフが帰宅。ペコの様子を語り合う。
 4時過ぎに意を決して筋トレに出かけた。行きにレターパックを投函。
 3週間ぶりの筋トレだったが、体重が2キロ増えていた。食生活というか消費エネルギー的には、だらけた生活を送っていたのかもしれない。トレーニングルームは、日曜日ということもあり、まあまあ人が多かった。左腕に負荷のかかるマシンを少しやれたのは、五十肩が改善されつつある証拠だろう。
 筋トレで体調が少し良くなったが、疲労もあって、夜は雑務中心で終わってしまった。
 今夜も早寝。

9月5日(月)「こっちが病気みたいだ・・・の風さん」
 なるべく睡眠時間を確保して起床。しかし、ワイフがトールの仕事で出かけるので、すぐペコに下剤を飲ませた。二人がかりでやるのが最もうまくいく。
 朝食後、ペコの様子を見守る。ペコはまるで分っていないが、飼い主である私はすべて理解しているので、こちらが病気になっているような精神状態だ。
 天気もはっきりしない。九州に上陸した台風は、早くも温帯低気圧になったそうで、強風や豪雨の心配はなくなった。しかし、不安定な空模様だ。
 また北朝鮮がミサイルを発射した。3発、日本海に落下したらしい。迎撃命令が出っぱなしのはずなのに、対応したというアナウンスもなければ、リアルタイムの報告もなかった。情報は韓国の発表である。間違って日本本土に届いたとしても後の祭りなのではないか。飛距離から考えれば、都内に到達してもおかしくないのに。
 体調がスッキリしないままリビングで横になった。
 3時にようやく元気が出てきたので、インスタントラーメンを作って食べた。
 それからようやく再校ゲラの著者校正の続きを開始した。
 これが終了したのが、午前0時半である。

9月6日(火)「75年前の本・・・の風さん」
 朝食後、著者校正の再チェックをしたのち、荷造りしてコンビニへ行った。
 約束は明後日の午前中だったが、明日届くか尋ねると、午前中でも可能とのことだったので、昼一番でお願いした。物流センターを通すはずだが、このスピードは確かにすごい。
 午前中に新潮選書『江戸の天才数学者』の6刷が届いた。わたしが元気に活躍している限り、今後も増刷の可能性はあると思う。
 少し早めに昼食を摂り、町の図書館へ行った。相互貸借でお願いした本が先週届いていた。館内閲覧しかできないので、その場で読んで、必要なところはコピーをとるしかない。
 届いていた本は昭和16年12月15日発行の本だった。つまり真珠湾攻撃の1週間後。75年前の本。
 2時間滞在中に読んで、34枚(68ページ分)のコピーをとった。新しい情報がいくつも入っていた。古本で購入すると1万円はくだらない。
 帰宅してすぐ雨が降り出した。このところ、ひんぱんに台風がやってくる。天候は不順だ。
 夕食後、今度の日曜日の講演の準備を開始した。完了しなかったが、明朝、レジュメを送る準備はほぼ整った。

9月7日(水)「多忙な一日?・・・の風さん」
 今日も朝食後すぐ起動(パソコンか)。昨夜用意したレジュメをリファインして、事務局へ送付した。
 当日の講演スライド作成の続きを少ししてから、ペコに下剤を飲ませ、リハビリに出動。
 本当にわずかずつだが、五十肩は改善されているので、今日は比較的気が楽に行けた。これまで週一を励行してきたが、来週はPTがお休みとのことで、初めて次回は2週間後となる。筋トレに何回行けるか、だな。
 ドラッグストアとATMに寄って帰宅。少し片頭痛もあって、ソファで横になった。
 いつものように卵かけご飯の速攻昼食を終えて書斎へ。
 講演スライドの準備の続きをやった。ほぼ終了。
 途中で児童文学の編集者から電話があり、著者校正済み再校ゲラの宅配は昼前に着いたとのこと。早! しばらく打ち合わせをし、さらに追加の校正をする約束をした。児童文学は挿し絵や参考図が入るので、非常に手間がかかる。
 夕方、地元の団体から電話があった。企業への講義の相談で、前回、私では不適格と思われたのだが、その後の展開で、私の登場できる場面が生じたとのことだった。現役なら資料を集めて楽にできそうだが、新たに作るのが大変そうである。とは言え、お座敷がかかるというのは、何と言ってもありがたいことだ。12月以降にやることになりそうである。
 夕方から追加著者校正に取り組んだ。最初に模擬算額を作成した。
 その後、本文の追加・修正に取り組んだのだが、これが午前1時ころまでかかってしまった。

9月8日(木)「激しい雷雨・・・の風さん」
 23日に秋田でセミナーをやるので、その準備を完了させることを今日の目標にした。
 と言いつつ、先ずは雑務からスタート。たまっている名刺をスキャナーで読み込んで整理した。
 秋田の準備を始めていると、秋田の友人からFBのメッセージが届いた。セミナーが終わった後、会えることになった。秋田では3泊するが、これで小中高それぞれのミニ同級会が確定した。非常に楽しみである。
 朝からどんよりした空だったが、次第に雲が多くなり、昼頃には雷雨になった。激しい雨と落雷である。書斎の窓から見ていると、稲光が天からまっすぐ落下した。もう日本は熱帯地方だな。
 雷雨の間は、PCの電源を切り、コンセントまで外して、まさかの事態に備えた。幸い、停電もなく、やがて雷雲は去った。
 次第に天気は回復し、スライド作成作業も順調に推移したので、夕方から筋トレに出かけた。
 五十肩が少しずつ治ってきているので、今日、あらたに一つのトレーニングを軽い負荷で復活させた。体はガチガチになっているが、トレーニングをした後は気持ちいい。
 体育館を出ると、秋の爽やかな風が吹いていた。
 今日もペコの状態は落ち着いている。朝晩2回の下剤投与ができて、あと食べて出してくれればこちらは安心だ。
 午前零時前に秋田の準備が完了し、テキストのデータなどを事務局へ送付した。

9月9日(金)「爽やかな秋空・・・の風さん」
 児童文学のあとがきが完成していなかったので、昨夜から取り組み始めた。
 それをやっている間に、ワイフからいくつか提案があった。明日は家内の実家中心の、恒例の昼食会がある。わたしは元々講演予定があって行けない。どちらも準備が必要だ。ワイフの方の手伝いをすることにした。
 あとがきが完成していなかったが、ワイフが外出から戻ってきたので、一緒に出かけた。
 GSでワイフのアクアに満タン給油し、近くのレストランでランチ後、JAに寄り、さらに田舎道をTDRのアトラクション風に疾駆して、地元のショップで買い物をして帰宅した。
 あとがきを書いている間に、時刻指定の宅配が届いた。
 やっとあとがきが完成し、出版社へ送付してから、久しぶりの草刈りに出動した。昨日と違って爽やかな秋空で、日差しはまだきついが、気持ちは爽快だ。筋トレのせいか、作業のつらさもあまり苦にならない。
 ホットタイム後、晩ご飯までさらにソファに横になった。今日はペコが落ち着いているので、こちらも気分は安定している。
 昨日の筋トレの影響か、筋肉痛が出て来た。
 晩ご飯の後、11日と16日の講演の準備をして、今日は早めに就寝した。明朝はわたしにはメチャ早い。

9月10日(土)「祝優勝広島東洋カープ・・・の風さん」
 午前6時起床。現役時代はこんな感じだったが、現在はずっと遅い。昔から朝に弱く、老境に入っても変わらない。
 朝が早いということは、睡眠時間が少ないということになる(私の場合)。睡眠時間と血圧値に逆相関があるので、早起きをするときは、超早寝が必要だ。昨夜は午前零時に就寝モードに入ったが、実際の就寝は午前1時だった。
 ワイフを駅まで送ったあと、草刈りで生じたポリ袋を2つ、ゴミ集積場へ運んだ。今日はゴミ出しの日だが、ついでに集積場の掃除当番でもあった。約1時間、収集車が来るのを待ち、ゴミ袋がなくなったのを見計らって、ジョーロで水を運んだ。箒で掃いた後、水を流すのである。毎回当番がしっかり回っているので、集積場のクリーン度が維持されている。
 午前中に、明日の講演スライドの再チェックをし、売れるかどうかは分からないが、サイン本を用意した。
 昼食はインスタントラーメン。液体スープが入っていたので、スープは実にうまかった。
 その後、16日(金)の講演の準備を始めたが、すぐ集中力が切れた。睡眠不足がたたるのである。
 1時間のタイマーをセットしてベッドに横になったが、起きられなかった。
 結局、午後5時に悲しい「ふるさと」のメロディが流れる頃、気合を入れて起きた。
 洗濯物を取り込んで、コーヒーを飲んで、気分転換をして、作業を再開した。
 晩ご飯は、冷蔵庫の冷や飯を温めて、納豆で食べた。
 今朝は、通常より早くペコに下剤を飲ませたせいか、すぐ吐いてしまい、これからが心配される。私の食生活などどうでもいい。
 しかし、ペコは少ないけれども餌を食べていたし、トイレを見るとうんちもしているようだ。
 ワイフが帰宅し、そのまま広島vs巨人戦を観て、まるで映画のような優勝物語を堪能した。オバマ大統領の広島訪問もあったし、ドラマは本当に起きるのである。なお、風さんは、ここだけの話、強い時の阪神ファンである(弱い時は応援しない)。
 そこで安心して、作業を再開。16日の講演スライドはできたが、配布用のレジュメは明日の課題となった。

9月11日(日)「袋井で3回目の講演・・・の風さん」
 ペコに薬を飲ませてから、ワイフは実家の食事会へ出発した。
 ぼくは出発までまだ時間があったので、昨夜の作業の続きをした。講演スライドのアップデートをしたあとすぐ、配布用のレジュメの作成に取り掛かった。スムーズに作業が進んだので、ひと休憩したあと、レジュメの再チェックをし、いけると判断したので、事務局へ送付した。これで、帰って来てからの課題はなくなった。
 今日は袋井市で講演である。昨年から通算3回目になる。会社の同期の友人が袋井市のT氏へ僕を紹介したことから、連鎖的に講演の仕事が発生したのである。3回すべてテーマは違っている。
 3回目だから問題なく現地に着けると高をくくっていたため、1時間半のドライブの予定が、キャメロンで走り出したら、2時間かかることがわかった。これでは30分のランチ休憩がなくなってしまう。やばいと思ったが、幸い道路はそれほど混雑してなく、東名の追い越し車線を突っ走って時間稼ぎをした。そして、浜名湖SAでなく手間のPに寄って、アンパン1個の昼食にした。
 予定通りの時刻に現地に着いた。
 今日の講演は、ほぼ同年輩の聴講者に、私自身の人生を語りながら、自分自身の人生について考えてもらうものだった。やはり、会社に入ってから作家になり最後に大学生までやってしまったという、不連続線が最も関心が高いというか不可解だったと思われる。なかなか説明は難しい。
 終わったあとも懇談して、現地をゆっくり出発した。既に日がだいぶ傾ていた。
 帰りは、来るとき寄れなかった浜名湖SAに寄ってお土産を買った。
 筋トレの効果か、運転は快調で、午後7時に楽々帰宅できた。
 出発前に最低限の仕事を終えていたので、早めに就寝することにした。

9月12日(月)「かまいたち・・・の風さん」
 今朝もペコに薬を飲ませてから、ワイフはトール教室へ出かけた。
 天気予報では昨夜から雨になるはずが、まだ降り出していない。ご近所で草刈りをする機械の音がした。ネットで最新の予報を見ると、午後から雨になる確率が上がっていたので、今のうちだと思い、飛び出した。
 裏の土地はワイフの教室の生徒さんの駐車場になっている。最近、雑草が伸びすぎて、クルマを入れにくくなっているので、進入路から駐車位置までの雑草の背を低くしようと思った。制限時間は1時間。
 そのつもりでやっていたら、ご近所の草刈りが一段落したらしく、「手伝いますよ」と来てくれた。私よりはるかに大先輩の方だし、今年は苦労して、来年機械化するつもりだからと辞退しようとしたが、熱心に提案してくださるので、ある部分だけお願いすることにした。
 しかし、機械で完璧に作業をされると、こちらのいい加減な作業が何とも見劣りする。結局、予定の時間をオーバーして、広範囲に草刈りしてしまった。
 へとへとに疲れていたし、汗びっしょりだったので、シャワーを浴びた。すると、右足のふくらはぎのあたりが横一文字に切れていた。はいていたトレパンを見ても切れてはいない。と言うことは、トレパンの上から、中の足をスパッと切ったことになる。これはもう「かまいたち」に決まっている(笑)。あとでワイフに自慢できそうだ。
 雑務をこなしてから、インスタントラーメンで早めに昼食を摂って、わたしも出かけた。
 先ず、大型家電量販店へ直行し、続いてJP(郵便局)、常滑焼店、GSで満タン給油して帰宅した。
 家でゆっくりする間もなく、次女が長期間アルバイトから帰ってきた。1ヶ月半ぶりかな。
 キャメロンで迎えに行き、仕事をねぎらったあと、ペコの病状を説明した。ペコを飼うことに賛成していた次女なので、予想外の重病に涙を流していた。
 わたしは全身疲労で、もうほとんど動けない状態だったので、書斎でしばらくダウンすることにした。
 帰宅したワイフに「かまいたち」の話をしたが、あっさり同意されたので肩透かしを食った。
 夕食後は、リビングのソファでダウンの続きをし(笑)、今夜も早めに就寝した。

9月13日(火)「先行して仕事の準備・・・の風さん」
 昨夜からの雨が少し残っていた。裏の駐車場はせっかく草刈りをしたものの、下が軟弱で使用できない。とんがりコーンを立てて、進入を防いだ。
 ペコに薬を飲ませることも含めて、一連の作業を終えて、今日のミッションに取り掛かろうとしたが、昨日の疲労が足にきていて、集中力が出ない。とりあえず仮眠することにしてベッドに倒れ込んだ。
 ……目が覚めたら、午後2時を回っていた。約4時間も寝てしまった。現役時代にはけっしてできない。老境に入ったら、本当に体力増強・維持を真剣にやらなければならない。が、まだ追いついていないのだ。
 月末頃に初めて新潮文庫が出る。その著者贈呈先の宛名シール印刷にとりかかった。贈呈先を決め、住所録ソフトの中のタックシールの書式を決め、無駄なく印刷を完了させる。ずいぶん時間がかかったが、タックシールはロスなく印刷できた。のろくても正確に仕事ができたということは、左脳のロジックは健在だといえそうだ。
 来月初めに上京する機会がある。スケジュールの詳細を決めつつ、新幹線の予約をした。いつもやっていることだが、確実に仕事ができると安心する。
 その上京のときに、セミナー講師の仕事もあるのだが、講義やテキストのデータ作成に着手した。昨年もやったセミナーなので、この間、東京で打ち合わせたことを反映するとともに、内容のアップデートをするのである。
 この作業はちょっとボリュームがあった。受講者が満席状態なので、ディスカッション・グループ数が増える。そのため、全体スケジュールを見直し、てきぱきと進められるようにするのである。
 アップデートの段階では、今週末の講演スライドのアップデートを間違えたことまで気付き、ちょっと慌てた。
 結局、就寝時刻が遅くなったが、日中仮眠していたので、帳尻が合った。

9月14日(水)「やっとのことでテキスト案が完成・・・の風さん」
 朝食後すぐ昨日用意した封書を投函に出かけた。確実を期し、分局の集配時刻前に間に合った。
 昨夜途中までだったセミナーのテキスト作成に取り掛かった。何とか午前中までに仕上げたかったのだが、児童文学の挿入画像の電話打ち合わせが入り、その対応にずいぶんと時間がかった。
 そして、あっという間に夕方になった。今日は不安定な空模様だったが、幸い、ひどい雨にはなっていないので、筋トレに出かけた。体力作りが重要課題である。
 トレーニングルームは人気(ひとけ)がなかった。空模様を不安視している人が多いせいだろう。最近決めたメニューを黙々とこなした。少々疲労気味のせいか、負荷がきつく感じられた。重要な二つのメニュー「ラットプルダウン」と「ストレッチ」が復活できれば、筋トレは本格的に復活できると期待しているのだが、まだまだだな。
 夕食後、テキスト作成の続きに取り組んだ。結局、ずいぶんと時間がかかったが、それでも完成とはいえない。でも、とりあえず現状の仕上がり状態へ事務局へ送り、その反応も聞いた上で、来週、最終版を送ろうと思った。
 なかなか思うように仕事ははかどらない。
 飼い主はそんな感じだが、今日のペコも落ち着いていたので、それが一番よかった。

9月15日(木)「マイホームの修繕必要・・・の風さん」
 ようやく雨が上がったようなので、、裏の駐車場のとんがりコーンを撤去した。
 朝食後、雑務を少ししてから、キャメロンで出かけた。ドラッグストア、UFJ、JAと回って帰宅した。なぜか疲れた。昨日の疲労がまだ残っているのだろう。
 昼食後、明日の生産技術マネジメント研究会での講演の復習をしてから、来客対応した。
 マイホームを建築した会社のリフォーム担当による、先日の外回りチェック報告と、今日は専門家による床下点検だった。
 外回りチェックの結果、浴室の内外がひどく痛んでいて、相当な修理が必要なことがわかった。
 今日の床下チェックでは、デジカメ写真をテレビの大型画面で再生しながらの報告で、配管類の液漏れがまったくなかったのは良かったが、基礎が数か所縦や横の亀裂が入っていて、内部の鉄筋の錆びの原因になる恐れがあることが分かった。ついでに、床下で発見したゴキやクモの写真も映し出してくれ、クモはともかく、ゴキには嫌悪感を抱いた。
 築10年目の内外の補修はちゃんとやったが、20年目をなぜか実施しなかっため、築25〜26年になる現在のような悲惨な結果を招いたことになる。あいにく退社して固定収入がなくなっていることや、長期的に、ここに住み続けるかも課題になっているので、すぐ修理をお願いするわけにはいかなかった。判断にはかなりの日数を要するだろう。
 今夜は「とこなめ会」だったので、ワイフに送ってもらった。毎回盛況なのは、とこなめの元気さの表れである。中期的に色々なことが起きることが今日もわかった。特に、知多半島の有料道路が民営化されることで、かなりの改善が計画されていて、集客効果が期待される。
 帰宅し、明日の講演の準備の続きをやって、今日は閉店にした。

9月16日(金)「アシダカグモは神さま?・・・の風さん」
 6時半起床。カーテンを開けたら、柿の木にスズメバチが3匹群がっていた。色づいてきた柿の実を狙っているのだろうか。
 調べてみたら、樹液を吸うことはあるらしいが、スズメバチは基本的に肉食で、様々な昆虫類を捕食しているという。ついでに、昨日テレビの大画面で見せられたクモ。調査員の説明では「アシダカグモ」という名前だった。手のひらを広げたような大きなクモだ。たまに屋内に侵入してくるが、外へ逃がすようにしているやつだ。もちろん殺すなんてことはしない。このアシダカグモが食べているのは、なんとゴキ! クモはたいてい益虫だが、我が家にとっては神さまみたいな存在だということが分かった。
 8時の電車で出かけた。車中で昨日に続いて、また講演のための勉強をした。トコトンの復習。
 午前中、生産技術マネジメント研究会で特別講義をした。マーケティングにするかCEにするか迷ったが、結局、CEにした。提供した情報量が多いので、消化するのは大変だろう。でも、研究会はまだ始まったばかり。だんだん重要な参考情報であることに気付いてくれると思う。本もいっぱい買ってもらった。
 チームミーティングを5時に終えて、まっすぐ帰宅した。
 やはり疲れたので、今夜は雑務を中心に処理して閉店にすることにした。

9月17日(土)「色々あって執筆だけ進まず・・・の風さん」
 しっかり睡眠をとったつもりだが、昨日の疲労が残っている。こういうときは、雑務中心にこなし、身軽にしておくのがよい。
 月末のスケジュール調整もしていて、歯医者の予約時間をずらした。
 午後も雑務中心。能率も効率も悪い。ボケ老人には疲労が大きな障害だ。
 とうとう今日の予定にしていた草刈りの時刻になってしまった。台風が近づいていることや、週末の秋田行きなどを考えると、今日の草刈りは必須だった。例によって小一時間の予定で、完全武装して出撃した。
 考えていたステップ周辺を中心に刈った。刈った草は、土地の中央部に点在する円形脱毛症みたいな部分にばらまいた。
 シャワーを浴びて、スッキリしたら、ワイフが「今日はお墓参りだった!」と母屋に駆け込んできた。昨日聞いた話をわたしも忘れていた。準備はできているので、すぐに二人で心月斎へ直行した。既に6時近く、日没との勝負だ。
 てきぱきと墓参を済ませ、帰宅してコーヒータイム。
 そうこうしている間に、長女が駅に着く時刻がせまった。わたしが迎えに行き、ついでにコンビニで長女の好きなアイスクリームを購入した。
 夕食後、長女が持参のシュークリームを食べて、やっとわたしは仕事に取り掛かった。
 こんな状態だから、執筆は遅々として進まないのだ。
 そんな今日だったが、月末発売の新潮文庫の見本が届いた。期待通りの出来栄えで、前途が非常に明るく感じられた。

9月18日(日)「虫の多い日・・・の風さん」
 台風が着々と日本に接近している。その前に前線が横たわっていて、朝から小雨模様だった。それでも、寝室のカーテンを開けると、スズメバチが柿の木に群がっていた。今年の柿の実はスズメバチにすべて献上するしかないかも。
 昨日は、雨が降り出す前にやってしまおうと、草刈りをしたので、その疲労が今日に持ち越されている。それで、また雑務を中心にこなしながら、疲労回復を待つことにした。今日は、名刺の追加印刷をした。せっかくなので、もうすぐ出版される新潮文庫を追記した。追記したからでもないが、黒のインクカートリッジがぐっと減った。この間、買いそびれたやつだ。しばらく大量印刷は控えねば。
 京都の知り合いの先生から、新刊が送られてきた。共著だが、長年の研究成果が本という形に結実したに違いない。整数論の本である。
 夕方近くなって、やっと元気が戻ってきた。
 そろそろ就寝時刻が近付いたころ、帰省中の長女から「2階にクモがいる! 何とかして!」という訴えがあった。
 壁にへばりついているそいつは、よく見ると、アシダカグモだった。ゴキハンターで、パトロール中だから、そのままにしておこう、としつこく説明したが、部屋の入り口を密封して長女は就寝した。

9月19日(月)「常滑イオンをエンジョイ・・・の風さん」
 敬老の日だという。現役時代はまるで関係なかった祝日だ。同僚たちは皆業務に励んでいるころだろう。しかし私は、朝刊の記事にやたらと年寄りの話題が多いことに気付いている。
 気にしている台風の今後の動き予想を見てみると、移動が早くなり、秋田へ飛ぶ日はもう太平洋上にある。とりあえず、秋田へは行けそうだ。問題は、それまでに大きな被害がないか、だ。朝起きた時点では曇り空である。
 午前中、執筆の続きをやった。雑務を減らしているので、けっこう集中できた。
 午後からワイフと長女と三人で常滑イオンに出かける。まだ時間があったので、秋田用のサイン本を準備した。どう配るかは課題だ。
 結局、出発は午後1時になってしまい、雨までポツポツ降り出した。
 今日の常滑イオンは「招き猫祭り」で、色々なイベントをやっている。ここはショッピングだけでないのが魅力で、祝日とはいえお客さんでいっぱいだ。特に子供連れ。現役時代は祝日にはできなかった。どうも現役時代を意識し過ぎるな。過去をひきずり過ぎ。
 ランチやショッピングなどで、けっこう楽しい時間を過ごせた。
 帰宅する頃には雨が強くなっていた。
 雨が強まる中、今夜も長女を名古屋まで送った。ペコの様子を見に来てくれたのだが、平和な日々だった。

9月20日(火)「執筆に専念?・・・の風さん」
 10月初めのセミナーのテキストデータは昨夜のうちに改訂版を送信しておいた。
 今朝は早起きして、ワイフ、続けて次女を駅まで送り、午前中に雑務を少し片付けておいて、21日送付約束をしている次の児童文学の第二稿の執筆に専念だ。
 一方、今日の最大関心事は、台風16号である。次第に移動速度を速めたのはいいが、見事に日本列島を縦断するようなコースである。
 当地を通過するのは今日の午後になる予報だ。
 そして、実際、そうなった。猛烈な雨と風である。雷も鳴った。
 その中、次女がさっさと帰ってきたので、駅まで迎えに行った。大学の安全判断だった。
 夕方、出版社から電話があり、献本用の宛先の宛名シールに加えてデータも欲しいという。ちょっと苦労して、Excelデータをこしらえた。東京はまだ台風の影響は見られないという。
 ワイフの帰宅は夕方過ぎになり、台風がほぼ去ったのだが、風のために倒木があり、電車が不通になった。そこで、途中駅まで迎えに行くことになった。
 結局、第二稿の完成は明日へ持ち越しとなった。

9月21日(水)「ペコの病気は進行停止中・・・の風さん」
 出版社へ今日の午後6時までに原稿を送るとメールしてから、予約してあるリハビリに出かけた。
 台風のせいで、キャメロンが汚い。しかし、洗車している余裕はないのだ。
 初めて2週間ぶりのリハビリになった。以前に比べると、ちょっと動かして「痛っ!」というのが随分減った。痛みがなくなるこれからが重要な気がする。可動範囲が狭いまま固まらないようにするためだ。
 少し資料を読んでから、執筆の続きを開始した。時計とのにらめっこが続く。我ながらギリギリの戦いだ。
 そうこうしているうちにとんでもないことに気が付いた。午前中のリハビリが終わってすぐ、来週の予約をしたのだが、わたしの勘違いで、愛工大の非常勤講義は再来週だと思っていたが、実は来週からだった。ということは、来週のリハビリが終わったらすぐ駅まで直行することになる。昼食を摂っている時間はないかもしれない。
 だんだん日が暮れてきて、第二稿は無理だと思えてきた。しかし、どんなことがあっても原稿は送らねばならない。そこで、第二稿でなく第1.5稿として送付することにした。しかし、それでも時間がない。最後までたどり着けるか微妙である。
 メールに添付して第1.5稿を送った後、送信ボックスを開いて、送信時刻をチェックしたら、17時59分54秒だった! 先方に届くのは理論的には(たとえ地球の反対側を回ったとしても)17時59分55秒だろう。18時という約束は守れたのである(笑)。
 今夜はペコを犬猫病院へ連れて行く予定日だった。有料道路を使っても片道30分かかる。病院はいつも混んでいるので、待ち時間は1時間近い。
 診察の結果、この3週間で、病気はほとんど進行していないことがわかった。体重も減っておらず、やれやれである。
 気休めでもいいから、何か進行を遅らせる薬はないかと尋ねたら、犬には効果があるが猫のデータがない薬があるというので、お願いした。1日でも長く元気でいてほしい。
 帰りも有料道路を使い、ワイフとペコをおろしてすぐ、駅まで次女を迎えに行った。
 それからやっと晩ご飯。
 明日からの秋田行きの準備と、明後日のセミナーのための事前勉強が、やっと始まった。

9月22日(木)「初日の秋田は雨と敬老バー・・・の風さん」
 朝から雨だ〜。次女を駅まで送った後、近所のえびせんべいの里へ直行し、秋田へのお土産を購入した。かなりかさばるが、地元のお菓子なのでお土産には適している。
 荷造りの続きをやり、セミナー資料の復習を少ししてから、いよいよ出発時刻となった。ワイフは出かけているし、適当なバスがないので、名鉄で行くしかない。猫たちに「行ってくるよ」と声をかけて家を出たが、誰も見送ってはくれなかった。
 しかし、非常にラッキーなことに、この時間帯だけ雨が上がっていた。4つも荷物を抱えていて、その上で傘をさすのはいくら何でも厳しい話だった。車中ではひたすら休養につとめた。睡眠時間は最近ないくらい短い4時間半だったから。
 セントレアで最後のお土産購入をし、預ける荷物2個を決め、セキュリティチェックを受けて、航空会社の受付で預けた。すごく楽になったが、それでも手荷物は2つだ。イベントコーナーは、子どもたちでいっぱいだった。今日は秋分の日、家族連れが多く、機関車トーマスがテーマになっていた。弁当を買って、フリーのテーブルで食べた。鳥の炭火焼き弁当で、ぜいたくな美味しさだった。
 出発までかなり時間があったけれど、さっさと手荷物検査を受けて、何度も行って慣れている遠くの出発ロビーへ直行した。ほとんど人がいない。そこで、自動販売機のコーヒーを飲んでひと息ついてから、MacbookAirを取り出して、最後のメールチェックをしてから、またセミナー資料の復習をした。
 秋田便は満席だった。機内サービスのコーヒーを飲む時以外はほとんど居眠りをしていた。
 懐かしい秋田空港に着くと、気温は20℃と寒いくらいだった。小雨が降っている。預けた荷物を受け取り、レンタカーのブースへ行き、近くにあるショップでいつものように軽四を借りた。よく我が家のトースターとそっくりだ、と私が形容しているホンダの車だった。荷物は多いが、レンタカーだと助かる。ナビに秋田の定宿のホテルをセットして、気楽に出発した。
 ホテルにチェックインし、荷物を解いて、またセミナー資料の復習を少ししてから、秋高のミニ同窓会に出発した。会場はホテルから5分程度のところだ。前回との違いは、わざわざ盛岡からも一人来てくれたことだ。彼もホテルを確保しているのだが、スポーツマスターズ2016秋田大会で満室状態だったのに、よく来てくれたものだ。
 特筆すべきは2次会だった。近くのカラオケバーへ行ったのだが、雨のせいもあるかもしれないが、駅前なのに通りは実に閑散としていた。これが人口減少率日本一の秋田の実態である。バーに入ると先客が数人いた。皆老人である。もちろん我々もそうだが、彼らの方が上。
 今夜の同級会メンバーは、全員カラオケが得意だった。特に盛岡から来てくれた同級生は、昔からバンド活動をしていて、今日は、秋田で昔のメンバーを集めて、しっかりスタジオで練習してきたという。常連の一人もその仲間だ。盛岡の同級生はボーカルも担当していて、さっそく今日練習していた曲を披露してくれたが、ビートルズの曲を英語で歌った。
「あんたたちカラオケうまいけど何なの?」と質問した先客は81歳だ。それに対する回答は「ぼくら音楽学校の同級生で63歳です、先輩」。もちろんこれは作家の作り話だが、半分は事実(客との会話)がベースになっている。
 敬老バーの超熟年ママさんに別れを告げて、今夜のミニ同級会はお開きとなった。
 ホテルに帰って、仕事をする気にはもうなれなかった。

9月23日(金)「2日目は50年ぶりの再会・・・の風さん」
 昨日に続いて睡眠時間4時間半で起床。きっと今測定したら血圧が高いだろうなあ。
 朝食を速攻で食べて、レンタカーで出発。幸い雨はほとんど上がっている。
 秋田市内から出る方向なので、通勤渋滞を眺めながらすいすい走った。じきに有料道路に入った。スムーズに進行するので、これでは到着が早過ぎる。あえて途中のSAに寄ってみた。道路も空いているがここも空いている。有料道路は秋田らしい山間部を走るので、何となく別世界にいるような感じだ。そう。ドイツを走っているような。でも、道路は狭いな。
 目標の9時前に現地到着。研修室に行くと、担当者の方が机の並べ替えをしていた。20名募集に対して40名の申し込みがあり、1名減ったそうだが、それでも研修室はいっぱいになりそうだ。まだ誰も来ていなかったので、ロビーで缶コーヒーを少し口にしてから、再び研修室に入った。準備をしながら早めにやってきた受講者に、今日のセミナーへの期待や、彼らの会社での仕事について質問した。やはり、私の経験は特殊(超量産の大企業)であり、彼らはほとんど中小量の仕入先で、それでも低コスト短納期を要求され、必死に品質確保に取り組んでいることがわかった。生意気な話はけっしてできないと覚悟した。
 予告通り、秋田県庁関係者が2人来てくれた。午前中の講義はすべて聴講してくれるという。昼休みに歓談することにした。
 じっくり説明したので、午前中に予定したところまでたどり着けなかった。
 知人の2人とは、ラーメンを食べながら、昼休みいっぱい歓談した。そのうちの1人とは久しぶりに会うのだが、長い付き合いになっている。一期一会を大切にするのはもちろんのこと、できる限り長くお付き合いするのが私のスタンスなので、共通項が多いとこういう楽しいことになる。
 仕事に戻る彼らに感謝しながら別れ、私はセミナー講師に復帰した。午後は演習問題である。昼食後の眠気覚ましの意味合いもあるが、実体験は何らかのイメージを確実に残すはずなので、工程管理のポイントは変化点管理ということにつながら演習をしてもらうのだ。
 終了時刻の4時半になったが、テキストの最後までたどり着けなかった。やはり分量が多いみたいだ。
 それでも、今日、とても嬉しかったのは、終了後も質問や相談に来てくださった方が何人もみえたことだ。今日のセミナーを通じて、ずいぶんと感じたことが多かったようだ。そういった人たちとの付き合いが、これから始まるかもしれない。
 横手駅近くのホテルにチェックインし、ゆっくりする余裕もほとんどないまま、曲小のミニ同級会へ電車で向かった。友人からのメールで、今日は中二以来の友人が飛び込み参加するという。わたしが転校したあと、わざわざサイクリングで遊びに来てくれた一人である(もう一人は常連)。
 居酒屋でのミニ同級会は、めったに会わない仲間とは思えない気楽さだった。昨夜の飲み会とほとんど同じ雰囲気。久しぶりの友人は大病をしたあと、節制につとめているとのことで、見習わねばと思った。色々な話が飛び交ったが、その中で、ぼくが小学校時代好きだった子の名前が出た。かつて後厄同期会に来た時にも会えず、その時の噂では当時まだ独身だった。その彼女がその後結婚もし、近くでスナックをやっているという。2次会はそこにしようという提案があったが、わたしは不安になった。もし私のことなど覚えていないと言われたらショックだからだ。心配はないと友人は言うので、勇気をふるって行くことにした。
 この経験は何とも筆舌に尽くしがたい。50年ぶりなのである。相手もとまどっていたのかもしれない。わたしの終電までの短い時間の交流だったが、半分初対面のようなところもあった。二人の共通点は、当時絵を描くことが好きだったということだ。実力は彼女の方がはるかに上だったと記憶している。残念ながら今は絵を描くこともないとのことだったが、きっと絵に対する感性はすぐれていると思う。
 電車でホテルに戻り、興奮さめやらぬままシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。

9月24日(土)「3日目は同級生のスナックで大はしゃぎ・・・の風さん」
 一昨日も昨日も、会えると思っていた同級生のためにお土産を持って来ていた。ところが、昨夜は、予想もしていなかった50年ぶりの再会が二人もいた。最初に会った友人からは住所をしっかり聞いたが、二人目は動揺していたせいか、住所を聞くのを忘れた。友人にメールしても返信がないので、少なくとも昨夜のスナックの位置と名称(難しい漢字を用いていた)だけは確認しておくことにした。
 昨夜は6時間の睡眠を確保し、朝食もゆっくり摂って、横手から大曲へ向かって一般道を走った。
 大曲駅前でちょっと迷ったが何とかスナックを発見し、写真を撮った。
 続けて、105号線を由利本荘市へ向かった。中学校の同級生とランチの約束をしていた。ナビをセットすると、約1時間50分かかります、という信じられない音声メッセージが出た。そうなると予想到着時刻は12時10分で遅刻だ。レンタカーはまるでパワーのない軽四だが、ちょっと頑張ることにした。
 幸い田舎道だった。どんどん予想到着時刻が早まって、11時半に着いた(笑)。どんな走り方をしたのかは想像に任せる。
 同級生二人と約2時間ランチしながら歓談した。一昨日と昨日の同級会の話が中心だ。
 その後、二人と別れ、私は市内の史跡へ歴史取材に行った。かつて、ここでは算額を同級生と一緒に見学したことがあり、いつか作品に反映したいという気持ちがある。
 取材を終えて、今夜のホテルへ向かった。日本海を右手に見ながらひた走った。
 西目中のミニ同級会はホテルのすぐ向かいにあるスナックだった。同級生が経営しているのだ。なので、年に2回はここで同級会が開催されているそうで、いつか私も、と思っていたのだが、こんなに早く実現するとは思っていなかった。
 ミニ同級会は午後6時から始まった。最もよく集まる仲の良い同級生が中心なのだろう。最初から盛り上がっていた。
 とは言え、今日はわたしは初参加みたいな立場なので、スナックのために持参してきた、左手を上げた黒い招き猫を贈呈した。商売繁盛と魔除けの効果があるはずだ。もちろん常滑焼。
 同級生ママさんが準備した、あふれるばかりの料理とお酒そしてカラオケで、途中で二組の客が入ってきたが何のその、午前零時過ぎまで、中学時代の気分に戻って、はしゃぎまくった。カラオケで県大会まで出場したというママさんとデュエットもやらせてもらい、とても満足した。
 最後に、これも持参した来月初め発売の新潮文庫(全員分はなかったので、不足分は後日送付)を、お礼に配った。
 宿が目の前というのは実に便利だ。わざわざ秋田から来てくれた友人は隣室だった。
 わたしにしては随分と飲んだ気がするが、悪酔いすることもなく、明日の朝困らないように準備して、ご機嫌で就寝した。

9月25日(日)「帰宅したらペコは元気・・・の風さん」
 睡眠時間がまた4時間半で、午前6時起床。9時半に秋田空港から飛び立つので、ノロノロしているわけにはいかない。
 朝食抜きで、チェックアウトすると、フロントマンから「昨夜の同級会に出席していた**は姉です」と言われた。胸の名札を見ると、たしかに苗字は同じ(笑)。「メールがじゃんじゃん来ていて、宿泊客が作家だと自慢していましたよ」と笑顔である。
 こうなったら焦ってはいけない。名刺を渡して簡単に自己紹介し、また来ます、と伝えた。
 ホテルを出たのは7時5分前だった。友人の話では空港まで1時間もかからないという。自動車専用道路にすぐ入った。片側1車線の対面通行がほとんどなので、大きな事故でもあると渋滞してしまう。トラブルだけが心配だ。
 自動車専用道路は秋田近くまで無料で、最後に出るとき、また軽四割引があった。8時開店だというガソリンスタンドに一番に並ぶことができた。7時半である。
 レンタカーショップも8時からだったが、一番で手続きができ、その車で空港まで送ってもらった。
 前もって準備してあったので、すぐに荷物を2つチェックインカウンターに預け、勝手知ったるギフトショップに直行。狙いのきりたんぽがあるか等ざっとショップ内を点検したのち、買い物かごに次々に入れて、支払いを済ませた。楽勝!
 喫茶室でやっと朝食を摂ることができた。サンドイッチとコーヒーで520円。
 帰りの便も満席だった。天気が好かったので、下界を眺めていた。高度は6000mくらいらしい。山岳がけっこう近い。きれいな眺めだ。高度を下げ始めるころ、雲から突き出た富士山も見えた。ただし、シルエットであり、新幹線から眺める美しさではない。
 セントレアでワイフと合流し、荷物をアクアに積み込んだあと、友人への土産を購入して宅配を頼み、お昼どきだったのでランチもした。
 秋田での旅行話を面白おかしく語った。
 うまい具合に駐車料金が無料になった(2時間までのサービスに適合)。
 秋田の涼しさに比べ、愛知県の暑いこと。アクアに満タン給油してから、近くの喫茶店でまた旅行話。ここで、ほとんどの馬鹿話を終えた。
 帰宅すると、ペコが元気だったので、嬉しかった。
 荷物を解いて、ざっと片付けたところで、書斎でダウンした。昼寝態勢。秋田へ行く前からずっと多忙だった。その疲れがどっと出たわけだが、まだ半月くらいは多忙状態が続く。
 ペコが元気だったのが一番嬉しかったが、庭の柿の木にやってくるスズメバチは、その後も多く、夜はその対策の相談となった。

9月26日(月)「スズメバチ対策プラスワン・・・の風さん」
 今日から通常の生活に戻りたかったが、とても無理そうだった。
 朝から先ずスズメバチ対策をネットで調べ、何種類かの殺虫剤と撃退薬を抽出した。こういうのは品質問題とよく似ていて、すぐ打つ対策と中長期的におこなう根本対策まで考えられる。とりあえずは、すぐ打てる対策だ。
 殺虫剤を購入しようと、キャメロンを始動させようとしたら……エンジンがかからない。カチカチ音がするが、エンジンが回転しないのだ。バッテリー上がりに症状が似ていた。昨年の8月に純正品と交換したばかりなのに……。電圧は11.8Vで少し低めではある。と思っていたら、エンジンがかかった。
 ここから予定と違った行動になった。ホームセンターへは行ったが、エンジンは切らずにかけっぱなしにし、その間に買い物をした。ハチ対策の殺虫剤は1種類しかなかった。さらに、充電器を購入した。10mの延長コードも。
 帰りにドラッグストアにも寄ったが、そこでもエンジンは切らずに買い物をして帰宅した。
 すぐにネットであと2種類の薬剤を発注した。明日の午後一番に届くように時刻指定した。
 それから、いよいよバッテリーだ。購入した充電器には診断機能もある。接続したみたら、容量が90%と出た。それほど悪くない気がするのだが。ま、とにかく充電してみることにした。
 その間に、また疲労が出たので、昼寝してしまった。
 目覚めてキャメロンを確認に行くと、満充電になっていた。接続をすべて外して、電圧をチェックすると12.5Vもある。すごい。エンジンは正常にかかった。
 夜、暗くなって、ワイフと完全武装し(長袖、帽子、メガネなど)2階の寝室から、おっかなびっくり、殺虫剤を柿の木目指して噴射した。さすがに夜勤のハチはいなかったようで、反撃はなかったし、飛び回っている様子もなかった。
 今日購入した殺虫剤はスズメバチを殺すほどの威力はないが、弱いハチには多少の攻撃力はあるらしい。ハチにとって嫌な匂いが付着して、明日から来なくなればしめたものだ。「明日の朝が楽しみ」と言いながら、今夜の作戦を終了した。

9月27日(火)「最初の対策は空振り・・・の風さん」
 目覚めてすぐ寝室のカーテンを開けてみた。
 がーん! いる。たくさん飛び回っている。ホームセンターで購入した殺虫剤には、ハチ除け効果はなかった。がっくり。
 明日から後期の非常勤講義が始まるので、その準備もしなければならない。焦る……が、イマイチ元気も出ない。柿の木の周りをスズメバチが飛び回っているせいもある。
 正午にネットで注文したスズメバチ対策グッズが届いた。
 一つは、直接吹き付ければ駆除できるやつだ。しかし、巣を駆除するためには数本必要と書いてある。今回、巣を駆除するのが目的ではない。寄り付かなければいいだけだ。高価な殺虫剤なので、使い方は慎重にしなければならない。先ず、ハチを狙っても、後から後から新手がやって来る可能性が大だ。柿の木に噴霧するにしても、明日から雨の予報なので、雨で洗われてしまうことが考えられる。とりあえず今日は使わないことにした。
 ところが、ワイフのトール教室が始まっているので、生徒さんの危険防止は何かしなければならない。そこで今日は、とりあえず、防虫キャンドルを焚いてみることにした。
 二つ目の対策グッズは、ずばり虫よけである。本対策ができた後の予防が狙い。製品はハッカ油。スプレー容器に薬液を用意した。これは、庭にあるログやサンルームの入り口に吹きかけて、出入りするときに屋内に侵入するのを予防しようと考えている。
 いずれにしても、本対策をどうするかで、ワイフと頭を抱えてしまった。
 そもそも柿の実を狙ってくるのだし、今年は収穫を諦めたのだから、柿の実をすべて取ってしまおうとワイフが提案した。これは根本対策の一つになるかもしれないと思った。明日、ホームセンターで物色することにした。
 夕方から夜にかけて、非常勤講義の準備を完了した。
 それにしても、多忙な状態がいつまでも続くなあ。

9月28日(水)「リハビリと講義と・・・の風さん」
 寝不足状態(わたしにとって)が続いているので、朝の血圧が高い。
 天気予報通り、小雨模様。しかし、ハチの飛来は相変わらず。
 ワイフを最寄りの駅までアクアで送ったあと、次女を送る時刻になった。このまま出かけると、夕方まで帰って来ない計画なので、キャメロンで送るのだが、な、なんとエンジンがかからない!
 月曜日と違って、うんともすんともいわない。バッテリー上がりのひどい状態。しかし、バッテリーは健全なはずなので、電源が消失したというか、接続が断たれた状態だ。
 とりあえずアクアで次女を送って自宅に戻ってきた。
 再び、何度かトライしたら、突然、エンジンがかかった。アドインされている本来のナビが、初期状態から立ち上がった。やはり完全に電源が落ちていたのだ。
 キャメロンでは不安なので、とりあえずアクアでリハビリに出かけた。クリニックに着いてから、カリチューに状況を説明し、明後日近くへ行く用事があるので見てほしいと伝えた。
 リハビリから自宅へ戻り、またキャメロンのエンジン始動を試みたら、ちゃんとかかった。再びカリチューに電話して、さらに詳しく状況を説明した。バッテリーの端子がゆるんでいるのではないか、と言われたが、昨年8月に苦労して新品と交換した経験から、そこはチェックするのも難しいので、明後日頼みたいと言った。
 さらに状況を把握するために、危険をおかす形になったが、キャメロンで出かけた。
 某駅の近くまで行き、名鉄そして地下鉄と乗り換えて、本山キャンパスにたどり着いた。
 後期最初の講義を無事に終えて、キャメロンをとめたところまで戻ってきた。
 エンジンがかかったので、大規模電気店に寄って買い物をし、隣接のホームセンターで高所にある柿の実でも切り取れるはさみがあることを確認した(キャメロンに載るか不安だったので、購入は明日にする)。
 小雨が降っていてもハチは元気いっぱいだ。ま、ペコも元気だから我慢するか(なんのこっちゃ)。
 秋田の友人から宅配が届いた。送ったお土産のお返しで、気を遣わせないようにしっかり伝えなかったわたしが悪い。この穴埋めは、来年中に秋田行きを実現しておこなうしかない。

9月29日(木)「土壇場の失効猶予・・・の風さん」
 今朝も寝室のカーテンを開けて柿の木をチェック。スズメバチと朝の挨拶だ。
 ワイフと次女を次々に最寄りの駅まで送り、わたしの時間となった。
 9月末までにやらなければいけないことが、数か月前からあり、とうとう今日になってしまった。一つはANAのマイレージポイントの失効だ。先週の秋田往復もあって、その加算を待っていた面もあるが、それはたいしたポイントではなかった。結局、ショッピングポイントへ移行して、執行猶予を1年間延長することにした。洒落で失効猶予だ(笑)。
 もう一つは、このホームページの別室、離れというか隠れ家になっている、気まぐれ日記のバックアップ(1999年9月からのすべて)が、消えてしまうことだ。無料のプランだったのだが、そのプランそのものがなくなってしまうため、同じプロバイダーで別プランに移行するか、まったく新たなプロバイダーへ変更するか、どちらかを選択する必要があった。結局、別プランへ移行する期限も過ぎてしまい、多くの無料ホームページの中から、あるWebsiteを選択し、そっくり引っ越すことにした。
 ここまで終えるのに、午前中だけではすまなかった。しかし、ほぼ終えることができた。
 卵かけご飯での昼食後は、ワイフのアクアでホームセンターへ行き、柿の実を収穫する長柄のハサミを買って来た。
 実は、駐車場で、老ドライバーが、ブレーキとアクセルを踏み間違えて、前方に駐車しているクルマにごつんとぶつける場面を目撃した。助手席の奥さんが出てきたので「店内放送でクルマの番号を言えばいいですよ」とアドバイスしたら、まもなく店内で放送が流れた。「お車ナンバー****のお客様。お伝えしたいことがございます。サービスカウンターまでおこしください」慣れてるなあ、と感心。
 長柄のハサミをいつ使うかはワイフと相談するとして、懸案事項をなるべく多く処理してしまわないと、来週の大事な特別講演の準備ができない。
 先ず、秋田でもらった名刺の整理。秋田のセミナーで交流した方へのメール送信を2通。早くも新潮文庫が届いたというメールへの返信。
 そうこうしているうちに、秋田からの郵便物や、児童文学の3校ゲラ(挿絵入り)まで届いた。別注文の新潮文庫100冊も届いたので、それらの配布の準備も少しずつ始めた。
 非常勤講義は昨日何とか無事にスタートできたが、来週も続く。ある程度の準備をしておかないと、来週早々の上京スケジュールを安心してこなせない。その上京初日の午前中のスケジュールが今日やっと確定した。
 今夜は普通の時刻に就寝した。血圧は下がるかなあ。

9月30日(金)「キャメロンの問題が解決・・・の風さん」
 次女を送ったあと、ワイフとペコに薬を飲ませ、書斎で少し作業をしてから家を出た。
 キャメロンのエンジンがかかるかちょっと不安だったが、一発で始動した。暑くも寒くもないので、窓を開けて走ることにした。エアコンにパワーを奪われないので、快調に走る。しかし、走行中に電源消失したらどうなるか、それが頭の隅っこでくすぶっている。
 5週間ぶりの総合病院に着いた。立体駐車場に入れようとしたら、目の前を老ドライバーのクルマがのろのろ走っている。立体駐車場の入り口で突然停止した。見ると、駐車場から出てくるワゴン車が大きいので、すれ違えないと判断したらしい。一方、ワゴン車は道を譲るかっこうで、停止している。
 何を思ったのか、老ドライバーがギヤをバックに入れた。見ると、バックミラーで後方を確認している気配がない! わたしは急いで後方をチェックした。何もいない。前車がバックを始めた。まじかよ〜、と思う間もなく接近してくる。私はすかさずバックギヤヘ入れて、間隔を保ちながらバックした。幸い、後方に接近してくるクルマはいなかった。
 大きなワゴン車が出て行ったあと、老ドライバーは、すぐ近くにあった空きスペースに、自分のクルマを駐車させようとした。頭からだ。
 もう付き合ってられねえや、と私は、2階へ向かった。
 昨日今日と、明日は我が身と思われる老ドライバーのみじめな運転ぶりを目撃し、日ごろワイフと語り合っている「いつ免許証を返上するか、そしてそのやり方はどうするか」をあらためて思った。
 病院は混雑していたが、現役時代そのままの効率良さで(これは国会図書館でもよく発揮していた)てきぱきとこなし、12時15分には、病院からデンソー本社へ向けてキャメロンを走らせていた。既に昼食も終えている。
 午後2時まで元同僚と定年退職後のことについてとりとめもない話をした。私の経験談は、多少、彼らの参考になるに違いない。
 帰りぎわ、私の大学の先輩で、やはりデンソーOBだが、今でもフルタイムで活躍しておられるM氏とバッタリ。相変わらずのタフネスぶりだった。私も負けじと、会社のパンフレットを仕入れて帰った。
 3か月ぶりの歯医者へ行き、定期健診を受けたが、3か月ごとの歯石除去が、保険対象でなくなったと聞いた。健康保険組合の資金不足が遠因だろう。税金も来年から配偶者控除がなくなるらしいし、高齢化社会へ向けて、様々な変化が生じている。
 5時にカリチューに着いた。キャメロンの不具合は電話で話してあったので、担当者はすぐに一番怪しいバッテリーの接続をチェックした。
 するとどうだ、マイナス端子のボルトがゆるんでいるではないか! もともと締付が甘かったのか、クリープと振動でゆるんだのかはわからない。しかし、一発で問題解決するとは、なんとラッキーなのだろう。
 夕闇せまる道路を、窓を開け、エアコンを使わずに走って帰った。バッテリーの不安がなくなったのは大きかった。
 夜中に寝室の窓から柿の実を切り取るのは難しかった。ワイフと相談し、明朝日の出と同時にトライすることにした。ハチの出動とわたしの出動とどちらが早いか、である。

2016年10月はここ

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